2011年 10月 10日
蔵の町 ~倉敷~
【倉敷】
倉敷川を中心とする一帯は早くから干拓による田地の開発が進められていました。その後、慶長五年(1600)に備中国奉行領となり、倉敷は松山藩の玄関港として上方への物資の輸送中継地となります。やがて寛永十九年(1642)には幕府直轄地、「天領」となり代官所が置かれました。
当時の倉敷川は潮の干満を利用して多くの船が航行しました。倉敷は物資輸送の集積地として、川沿いには、塗屋造りの町家や白壁土蔵造りを中心とする町並みが形成されていきます(HPより)
昨日は気が付かなかったけど、ホテルの窓の下を見ると大きな屋敷が。国の重要指定文化財の「大橋家」です。
朝の美観地区散策
月曜日だったので、大原美術館は休みでした。
倉敷アイビースクエア
明治以降、紡績の町として栄えた倉敷を今に伝える工場跡。現在はホテルとして利用されています。
創祀1700年を超える倉敷総鎮守の「阿智神社」には新米が奉納されていました。
阿智神社から倉敷の町並みが一望。
四国も初上陸でしたが「島」に行く事も殆どなかったので、粟島で新たな魅力を見付けた今回の旅でした。
長々とお付き合い頂き、ありがとうございました。
おまけ
帰りの新幹線、夜に乗る事が多いので、富士山を見る事はありません。が、今回は昼過ぎに倉敷を出たので、もしかして、と思い見える側の席を取り帰京。
途中、名古屋辺りから雨模様だったので、諦めかけていたのですが 分かりますか?
靄の中、姿を見せてくれました。やっぱり、富士山は見えると特別ですね。
倉敷川を中心とする一帯は早くから干拓による田地の開発が進められていました。その後、慶長五年(1600)に備中国奉行領となり、倉敷は松山藩の玄関港として上方への物資の輸送中継地となります。やがて寛永十九年(1642)には幕府直轄地、「天領」となり代官所が置かれました。
当時の倉敷川は潮の干満を利用して多くの船が航行しました。倉敷は物資輸送の集積地として、川沿いには、塗屋造りの町家や白壁土蔵造りを中心とする町並みが形成されていきます(HPより)
明治以降、紡績の町として栄えた倉敷を今に伝える工場跡。現在はホテルとして利用されています。
四国も初上陸でしたが「島」に行く事も殆どなかったので、粟島で新たな魅力を見付けた今回の旅でした。
長々とお付き合い頂き、ありがとうございました。
おまけ
帰りの新幹線、夜に乗る事が多いので、富士山を見る事はありません。が、今回は昼過ぎに倉敷を出たので、もしかして、と思い見える側の席を取り帰京。
途中、名古屋辺りから雨模様だったので、諦めかけていたのですが
靄の中、姿を見せてくれました。やっぱり、富士山は見えると特別ですね。
by y_merry
| 2011-10-10 23:36
| 旅行