merryの徒然日記

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旅が好き。一眼レフを片手に今日もどこかで....(夢ですね)

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長崎にて平和を考える

今、この時にこの場所へ来て何を思う?



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原爆落下中心地公園(爆心地)
1945年8月9日午前11時2分、長崎市松山町171番地の上空約500mで原子爆弾が炸裂し、死者73,884人、負傷者74,909人、被災戸数18,409戸という壊滅的な被害にあいました
その地に立つ落下中心地標柱は1968年に建立され、園内には被爆当時の地層も残されています
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標柱の横には原爆で倒壊した浦上天主堂の側壁の一部を移設したものもあり、当時の様子を伝えています
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護岸に描かれたゲルニカ。地元の子供たちが過去・現在・未来を描いたものです
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階段を下りた脇にある、被爆当時の地層。反射して分かり難いかもしれませんが、瓦などが散らばってます
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防空壕跡
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平和公園
水を求めて苦しんだ被爆者たちを思い、絶えず水を湛える「平和の泉」と正面にみえる「平和祈念像」
碑に刻まれているの読めるかな?
「のどが渇いてたまりませんでした。水にはあぶらのようなものが一面に浮いてました。どうしても水が欲しくて、とうとうあぶらの浮いたまま飲みました。.....ある日のある少女の手記から」
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神の愛と仏の慈悲を象徴し、右手は原爆の脅威を、左手は平和を、横にした足は原爆投下直後の長崎市の静けさを、立てた足は救った命を表し、軽く閉じた目は原爆犠牲者の冥福を祈っています
ちなみに平和公園を囲む塀の一部は、当時この場所にあった刑務所のものです
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浦上天主堂。1914年に東洋一のレンガ作りのロマネスク様式大聖堂として献堂式があげられました。当初は1873年にキリシタン弾圧禁制をとかれ自由になった信徒たちによって計画されましたが、資金不足により1895年にようやく建設が開始されました。
1945年の原爆により破壊され、現在の建物は1959年に再建されたものを1980年にレンガタイルで改装したもの
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こちらにも原爆遺構が残されています

くしくも今年は戦後70年。そしてここを訪れた翌日は8月15日終戦記念日。
故郷、長崎を愛し逝った彼女に導かれる様に訪れたこの場所で何を思う.....
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by y_merry | 2015-08-29 00:34 | 旅行 | Comments(0)