2018年 04月 21日
スリランカの旅 〜タンブッラ〜
今年は飛行機で10時間(帰りは9時間弱)、インドの涙と言われる日本と同じ島国のスリランカへ
ポーク海峡を挟んでインドの南東にある島国
紀元前5世紀にシンハラ人の先祖にあたる人々が北インドから移住してアヌラーダプラ王国を作ったのが始めとされる。ポルトガル→オランダ→イギリスの植民地時代を経て1948年2月4日、自治領のセイロンとして独立。1972年にスリランカ共和国に改称し英国連邦の共和国となり、1978年から現在の国名(スリランカ民主社会主義共和国)となった
1983年に起った内戦により、1984年に首都をコロンボからその南東15kmに位置するスリジャヤワルダナプラコッテへ遷都。但し、行政庁舎はコロンボに留め置かれているため、現在も最大の都市となっている
今回は老夫婦1組と一人旅男性1人、女性3人の6名とこじんまりとしたツアー(この老夫婦が凄いのだ!!)
コロンボ到着は19:30頃。そこから夕食場所を挟んで約3時間半〜4時間の移動で到着は夜。翌日も早くから行動のため、早々に眠りに就く
タンブラッタ石窟寺院
1991年ユネスコの世界文化遺産に登録されたスリランカでも有数の石窟寺院。岩山の頂きに壁画や仏像が美しい5つの石窟が並んで建てられている
第1窟。壁と同じ自然石に彫られた約14mの涅槃仏が横たわっています。よく見ると、足先の親指が揃ってない、枕が沈んでいる、枕の花模様(蓮)が完全に描かれていない(あとお腹と膝だった気がするのですが忘れました)が、本物の涅槃仏でそれを満たしていなければただの寝ている像なのだそうです
第2窟。寺院最大の石窟で釈迦の16体の立像と40体の坐像が安置されています。
泉も湧いていて、病気を治す効力があると信じられています。この壷の水は絶えず雫が落ちているにもかかわらず、減りもせず増えもしないといわれています。ちなみにタンブッラとは「水の湧き出る岩」という意味で石窟の名前の由来となっている
天上には1000体もの釈迦像が描かれているといい、一体どうやって描いたかというと、天上までの高さの台を置き、その上に寝転がって描いたという
スリランカでは寺院などを見学する際、靴は脱がなくてはなりません。石畳などを歩くので日中はかなり熱くなります。行かれる方は靴下を必ず用意して行きましょう。
石窟寺院周辺には野生の猿が出没。その後、あちらこちらで猿は見掛ける様になります
少し早い昼食でしたが、レストランの別室で結婚式が行われているとの事。ガイドさんが話をつけてくれて、少し同席(座らなかったけど)させて頂く事に。列席の皆様、珍入者に興味深々(^-^; でも暖かく迎えてくれて新郎新婦と一緒に写真撮影
ポーク海峡を挟んでインドの南東にある島国
紀元前5世紀にシンハラ人の先祖にあたる人々が北インドから移住してアヌラーダプラ王国を作ったのが始めとされる。ポルトガル→オランダ→イギリスの植民地時代を経て1948年2月4日、自治領のセイロンとして独立。1972年にスリランカ共和国に改称し英国連邦の共和国となり、1978年から現在の国名(スリランカ民主社会主義共和国)となった
1983年に起った内戦により、1984年に首都をコロンボからその南東15kmに位置するスリジャヤワルダナプラコッテへ遷都。但し、行政庁舎はコロンボに留め置かれているため、現在も最大の都市となっている
今回は老夫婦1組と一人旅男性1人、女性3人の6名とこじんまりとしたツアー(この老夫婦が凄いのだ!!)
コロンボ到着は19:30頃。そこから夕食場所を挟んで約3時間半〜4時間の移動で到着は夜。翌日も早くから行動のため、早々に眠りに就く
1991年ユネスコの世界文化遺産に登録されたスリランカでも有数の石窟寺院。岩山の頂きに壁画や仏像が美しい5つの石窟が並んで建てられている
スリランカでは寺院などを見学する際、靴は脱がなくてはなりません。石畳などを歩くので日中はかなり熱くなります。行かれる方は靴下を必ず用意して行きましょう。
by y_merry
| 2018-04-21 21:35
| 旅行